遺産分割協議を債務不履行を理由に解除できるか

私の実家は代々農業に従事していますが、数年前に父が死亡し、母、兄、私、弟と妹の五人が相続人となりました。相続の話し合いでは、父母とともに農業を営んできた長兄が、「農業を今までどおりやっていきたいし、母の面倒は自分たち夫婦でしっかり見ていくので農地と家屋敷の財産は自分にすべて相続させてほしい。そうすれば、お前たちの困ったときにも面倒を見るし、母親だって安心して老後を送れる。」と言って私たちを説得しました。
私は、母が法定相続分、即ち父の財産の半分を相続しておいたほうが、安心して暮らせるのではないかと主張したのですがかえって母より「長男夫婦は今まで父親の世話をちゃんとやってきてくれたので、この際長男の言うようにしたほうが農業も私の世話もやる気をもって一生懸命やってくれるだろうから言うとおりにしたほうが良い」と説得され、私たち兄弟はほんのわずかな判こ代を受け取っただけで遺産分割協議を成立させました。なお、遺産分割協議書には念のため『長兄は老後の母の面倒を最後までしっかり見る。』との文言も書き込まれました。
その後、協議書作成後一年間ぐらいは母と兄夫婦の間はうまく行っていたのですが、二年目頃からまず母と兄嫁の間にいさかいが起こり、つづいて兄との間もおかしくなりました。兄嫁は母が食事の支度や掃除洗濯が困難であるにもかかわらず母のために何ら手助けせず、兄は母の顔を見ると罵倒するため、母は居たたまれなくなって泣く泣く実家を出て私たちのところへ来ています。私たちはやむなく母を順々に二~三か月ずつ受け入れて面倒をみています。
しかし、私としては兄が遺産をほとんど相続したのはその相続分の中に母の面倒を見ることの義務も含まれていると考えられ、なおかつその旨の文言が入っているのに、面倒をみなくなったのですから、遺産分割協議をやり直し、母や私たちも相続分を受け取ったうえでその遺産をもって母の生活を支えたいと思っています。そのような遺産分割のやり直しは認められるでしょうか。

一 ご質問は「毋の面倒を見る」という債務を負担した長兄が、その債務を履行しないとき、その債権を有する母上は、一旦成立した遺産分割協議を債務不履行を理由に解除できるか、という問題です。結論からいうと、右協議を解除することはできないと考えられます。お父上が亡くなって相続が行われた際に一旦分割協議が成立した以上は、その後協議の内容にある義務を相続人が守らなかったとしても、即ち長兄が母上の面倒を見なくなったとしても、遺産分割協議を無効にしてやり直すということは認められていません。長兄の約束違反だから取り消すとか、扶養義務を履行しないから解除するとかすることは出来ません。

二 遺産分割協議というのは、協議の成立によってすべて終了してしまうと考えられています。ですから、協議書の中に書かれている相続人間の債権債務(即ちここでは長兄が母上の老後の面倒をみることで長兄にとっては債務、母上にとっては債権)は当事者間では当然存在していますが、協議そのものの効果には影響しないとされているのです。

三 というのは、仮に遺産分割協議において債務を負担させられた相続人が債務を履行しないからといって取消や解除が認められるとすると再分割が繰り返されるおそれが出て来て分割後に新たな権利関係が生じているときには取引の安定をそこない、また相続人が他の相続人に対し債務を負担するのは現物の分割の代わりにとられる便宜的方法で、債務そのものが遺産に含まれている訳ではないと考えられているからです。

四 したがって。債務不履行を理由とする遺産分割協議の解除ができない本件の場合は。毋上が長兄に対し、老後の面倒をみよ、即ち母上を引き取って扶養をせよ、と要求するか、又は、母上があなた方ご兄弟に世話を受けながら、長兄に扶養料を請求するしかありません。もし、長兄が応じなければ、母上やあなた方は、家庭裁判所に調停を申立てる事もできます。

五 なお、本件のケースにおいて実現の可能性は薄いでしょうが、もし、長兄がご白身の非に気付いて、改心し、あなたや母上の「遺言分割のやり直し」の提案に応じ、相続人全員で既に成立している遺産分割協議につき、その全部又は一部を全員の合意により解除したうえ、改めて分割協議を成立させることはできます。

弁護士 塩味滋子