尊厳死の宣告書(リビングウィル)について
一、私は現在高齢になっていますが、毎日元気で暮らしています。ところで、友人で同年齢の人が次々と病気になって、入院していたりするので見舞いに行くと、病室で友人は口や鼻から管を入れられて、手には点滴の針を刺され寝ていたりします。私は、友人に見舞いに行くと苦痛を訴えられたり、声をかけても返事がなかったり、あるいは意識がない人もいます。
二、医学の進歩は素臑らしく、私達の健康維持に大きな力となり、病気を治し苦痛を取り去り寿命を永らえました。他方、私達個人の意思とは反しても生命を永らえさせることはすべて善とする考え方に立つため、患者の意思はあまり重視されません。
三、私は日頃から、自分は最後の最後まで毎日元気で自分のことは自分ですますことができる生活を理想としており、亡くなるときはコロッと倒れてそのまま死亡する方法が一番よいと思っています。病気や思わぬ怪我で入院せざるをえなくなり、更に意識までも失われてしまったとき、ただただ延命のためだけで、命を永らえることを希望していません。私は現在そう考えて生活しています。
四、ところが、いさ実際に病気や怪我で入院させられ、必要な手当てを受けているうちに、結果として自分の意思とは無関係に体中に器具をつけられ、生命を維持するためだけに生きている状態にさせられかねません。私は、自分の人生は自分の尊厳を守り、恥ずかしくない死に方をしたいと常々考えています。
五、病気になって意思表示が出来なくなったり、意識が失われたりして、自分では前述のように考えていても何の意思表示も出来ず、あるいは自分の意思もなくなってしまったときに、希望どおりに延命装置をしてもらわないようにするにはどうしたらよいのでしょうか?
一、自分の人生の最後を貴方のように考えている方々が現在徐々増えてきています。自分が病気や怪我がもとで意思表示ができず生命維持だけをしてもらうのは嫌だという考え方です。
二、尊厳死を認めるかどうかは。実は大きな問題があります。医師はいかなる理由にせよ患者の生命を永らえさせることが使命です。医師が独自の判断で患者の生命を縮めることが出来るとすることは危険です。少なくとも患者の傷病に快復の見込みがないことや死期が迫っている時に、初めて延命措置の停止をするかどうかが検討されるのです。
三、貴方が希望どうりにしてもらうには、貴方が入院したりして意思表示が出来なくなったとき、貴方の真実の意思がどうであったか確認することが問題となるのです。そこで、貴方の様な考えを持っている方は、自分が元気で意思表示をはっきりと出来るときに、自分の意思を文書にして作っておくことが必要です。これは特に決まった書式というものはありません。しかし、貴方の意思が後に誰でもはっきりと分かる文書でなければなりません。
四、尊厳死について、現在法律上決められていることはありません。従ってご希望が認められるかどうかは、貴方の意思がはっきりと読みとれるように文言をしっかり整えておくことが大変重要になります。
五、現在、通常おこなわれているのは「尊厳死の宣言書」という文書を作っておくことです。その文書の中には、①傷病が現在の医学では不治の状態であり、死期が迫っていること、②担当医を含む二人以上の医師による診断であること、が必要ではないかと言われています。そのほかに③植物状態になったとき④耐え難い苦痛が続くときにも、延命措置の停止を求めることを記載することもあります。
六、この文書は、自筆で全文を書いておくことも考えられますが、貴方の意思を明確にするには、公正証書で作成しておくことが確実でしょう。作成した文章は配偶者か子供達に預けておくと良いでしょう。
七、尊厳死については、これを希望する人が集まって日本尊厳死協会という団体を作っています。その団体に問い合わせをすることもよいと思います。
弁護士 塩味達次郎