失踪した父が残した借金と相続放棄について

私の父は、二十年前に父所有の財産を全て処分し、母や私を捨てて出奔し行方不明となり、以後音信不通になっていました。ところが、一年前に警察から父が遠方の地でのたれ死にのような形で死亡したとの連絡がありました。私と母はすぐに警察に行き、遺体と所持金五万円余の引渡を受け、所持金を火葬費等に充て、遺骨を持ち帰りました。
このようなわけで父には財産など全く無かったので、私と母は相続のことなど考えずにいたところ、死後一年程たってから、父に200万円を貸したと名乗る会社から貸金請求訴訟を起こされてしまい、裁判所から訴状が送られてきました。私は、父に親らしいことは何もしてもらっていないし、財産も相続していないので、父の債務を支払う必要はないと思うし、支払う余裕も無いので支払いたくありません。このような場合でも、私と母は父の債務の支払をしなければならないのでしょうか。

一 あなたと母上は、訴状が届いて初めて亡父に借入金債務があったことを知ったのですから、その訴状が届いてから三ヶ月以内に家庭裁判所に相続放棄の申述をし、相続放棄申述が受理された、貸金請求訴訟において、相続放棄の主張をすれば、父上の債務を支払う責任はなくなります。

二 相続が発生した場合、相続人が何も手続をしなければ、相続を単純承認したものとみなされてしまい、被相続人の財産のみならず債務も含め、全て相続することになります。
そこで、財産や債務を相続したくないのであれば、相続人は自己のために相続の開始があったことを知った時から、三ヶ月以内に家庭裁判所に相続放棄の申述をしなければなりません。この三ヶ月を熟慮期間といいます。
そうするとあなたの場合、父上は一年前に死亡していますから、もう相続放棄ができる三ヶ月の期間はすぎてしまったので、相続放棄の申述は受理されないのではないかという疑問がわいてきます。

三 しかし、形式的にそのように解した場合、三ヶ月の熟慮期間が経過するのを待ち、相続人が法律上相続放棄ができなくなってから、被相続人の債務を相続したのだからといって、その取立を迫るという悪質な債権者を過剰に保護することになってしまいます。
そこで、相続人の保護と被相続人の債権者の保護の両方の法益を調和させる基礎が考えられるべきです。

四 このような観点から、判例では三ヶ月の熟慮期間の起算時は、次のように考えられております。即ち、原則として、相続人が①相続開始の原因たる事実(即ち本件の場合、父上の死亡)及び②これにより自己が相続人となった事実を知ったときから起算すべきです。
しかし例外として、相続人が①及び②の事実を知った場合であっても、①及び②の事実を知った時から三ヶ月以内に相続放棄をしなかった理由が、被相続人(父上)に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、父上の妻子を捨てて出奔し、音信不通であったという生活歴・父上とあなたや母上との交際状態などからみて、あなたや母上に相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があり、あなたや母上がそのように信ずるについて相当な理由があるときには、熟慮期間を父上死亡の事実を知ったときから起算するのは酷ですので、例外的に熟慮期間はあなたや母上が相続財産の全部又は一部の存在を認識したとき(即ち訴状が届いたとき)から起算されます。

五 以上から、あなたと母上は、訴状が届いてから三ヶ月以内に家庭裁判所に相続放棄の申述をすれば、熟慮期間内になされた有効なものとして受理されますので、結論として、貸金請求の訴は棄却される筈であり、父上の債務を支払う責任はありません。

弁護士 塩味滋子